それは、「 盛土 」
都市や郊外を歩いていると、不自然に盛り上がった土地を見かけることがよくある。
人の手でつくられた地形だ
なぜ日本で盛土が増えたのか?そこには都市開発、防災、産業構造など複雑な景観がある
だがこれは単なる土木の話ではない
人が地形を変えるという行為には、「自然と人間の関係」への深い問いが含まれている
この記事では、盛り土の理由と現状、そして空間を編集する私たちの在り方を、少し哲学的な視点から考えてみたい
都市を「盛る」という選択

人はなぜ、わざわざ地面を盛るのだろう
山を崩し、谷を埋め、平に整えて、そこに都市を築く
それは単なる利便性の追求ではない
「土地を自らの手でつくり変える」という、人間の根源的な欲望に近いのかもしれない
日本は、国土の7割以上が山地
可住地は限られ、その中でも平地はごく一部に集中している
都市化が進む中で、地形に抗うようにして、人々は山を削り、谷を埋めて「都市的地形」を増やしてきた
こうして、日本各地に「人工的な平地」が生まれた
それが『盛土』だ
盛土 が増えた歴史とその影響

戦後の高度経済成長期、日本の都市は急速に膨張した
特に首都圏や地方の中核都市では、新興住宅地や工業団地が次々と造成され、その多くは盛土によってつくられた
宅地造成等規制法により、一定のルールは設けられたが、規制の網をかいくぐる「グレーゾーン開発」や監視体制の緩さもあり、盛土の安全性は長らく見過ごされてきた
そして2021年、静岡県熱海市で起きた土石流災害
大量の不適切な盛土が雨により崩れ、数十人の命が奪われた
都市開発の「見えないリスク」が、突如として日常を襲った
この災害をきっかけに、全国で盛土の実態調査が進められている
調査結果から見えてきてたのは、「私たちの多くが、気付かぬうちに盛土の上に住んでいる」という現実だ
「地形に抗う」ことの意味

ここで立ち止まって考えたいのは、「なぜ私たちは自然の地形を受け入れず、平らにしようとするのか」という問いだ
ドイツの哲学者マルティン・ハイガーは、「住まう(bauen)」という行為に、存在と空間の関係性を見出した
人間にとって住むとは、単に建物をかめることではない
そこに「在る」ことの根源的な現れなのだと
それを借りれば、盛土とは「自然の流れに逆らいながら、自分達の都合のいい世界を上書きする行為」ともいえる
だが同時に、それは「自然を忘れる」ことである
地形が本来持っていた意味、重力の向き、雨水の流れ、人の足の運び….そういった身体と地形の関係が人工地形では断ち切られてしまう
都市は便利になったが、私たちは地形に住まう感覚を失っていないだろうか
これからの地の理との付き合い方
いま、都市の未来を考えるなら、「地形の上に住む」という当たり前を、もう一度問い直す必要がある
ドローン測量や3Dマップ、AR技術を使えば、私たちは見えない地形や盛土の層構造を可視化できるようになってきた
これからは、ただ平らに整えるだけでなく、地形の個性を活かしながら設計するという思想が重要になるだろう
不便さを残したまま住むことも、自然と共にある一つの豊かさだ
私たちはどこに、どのように「住まう」のか
盛土を通じて見えてくるのは、地形だけでなく、人間の生き方や世界の見方でもある
あなたはどんな地に未来を築く?
盛土は、単なる地形の操作だけではなく、「私たちがどこで、どういきたいか」の表れです。
安全性を無視した乱開発がある一方で、土地に向き合い、未来に残す価値を考える動きもあります
今、自分が立つ場所にどんな意味があるのか?どんな風景や物語を重ねていきたいか?
そう問いかけることから、「空間と知のリテラシー」が始まります
身の回りの地形や暮らしの土台に、少し目を向けてみませんか?
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